梅雨に入りましたね。
ダイヤーとしましては
苦労する時期の到来です。
でもね、今年から
除湿機と扇風機をお風呂場にセットして
乾かすという手法をあみだしまして
外に干したのと遜色のない乾きを見せてくれました。
嬉しい!電気代も浴室乾燥機使うよりグッとお得。
今日は『自由』というテーマでちょっと書いてみたいと思います。
わたしは、何よりも『自由』でいたいのです。
旅行も
ご飯を食べる時も
人間関係も
仕事も
時間の使い方も
明日の過ごし方でさえも
好きな読書も
立場も
考え方も
何もかも自由が好きです。
団体旅行も
コース料理も
上下関係や面倒な人付き合い(前回も書きましたが)も
会社員という働き方も
予定を立てるとかスケジュール管理も
正しい本の読み方とか(あるなら)
「お母さん」「パートさん」「日本人」とかそういう立場とか諸々
合理的、論理的とか古臭いなど
常識的はもちろん、自分らしい考え方でさえ
決まった考え方が苦手です。
特に、学校が嫌いでした。
なんて言ったって『自由じゃないから』
なんでしょうね。
この『自由』へのこだわりは。。。
生まれつきらしいです。
赤ちゃんの頃から
構われたり、自分の気分や、やり方にフィットしてないと
機嫌を損ねたそうです。(厄介な奴)
何か、ちょっと迷ったり
違和感があったりするとき
だいたい『これは自由なのか』と立ち止まります。
わたしの中で『自由』は
パーっと解放されていて
伸び伸びとした
清々しくワクワクする感覚。
それが好きです。
例えば、毛糸の仕事で
カセにする作業をするとします。
キリのいいところまで巻いてしまおうとか
決めた量をこなそうとか
そう言ったルールや目標はなしでやります。
手がカサカサしてきたなとか
紅茶飲みたいなとか思ったら
すぐ止めて、違うことをします。
『は?何それ?』って思う方もいらっしゃるかもしれません。
効率よくやった方が良いのは分かってるし
それなりにはやります。
でも、自由度が高い方が心地よいので
もうね、無理とか絶対しないです。
ですから
「無理しないでくださいね」
とよくお声がけ頂くのですが
わたしは無理はしないかなと思います。
できないので。。。。
で、回り回って
また毛糸をコツコツ巻きます。
いつか終わります。
しかも、作業を辛いなと思うことはほぼないです。
嫌になる前に違うことするからです。
わたしの生活の中で
この『自由』であるということが何よりも大切です。
今日の夕飯のメニューも
朝のうちから決めたい時もあれば
ギリギリまで待ちたい時もあるし
いっその事作んないこともある。
旦那さんはそんな私を知ってるから
「夕飯何にする?」とか
「週末どこ行く?」とか
ほとんど聞いてこないです。
ちょうどよく放っておいてくれます。
で
よーくよく考えると
『自由』でいたすぎるために
不自由になっている部分は否めない。
パラドックスだけどね。
『自由から自由になれない』的なこじれ。
それでも
わたしは『自由』が好き。
息子が3年生の時
図工の時間に
先生が息子の作品をみんなの前に掲げて
「ハイ!みなさん。これはダメな例です」って言ったんだって。
その事を家に帰ってきて悲しそうに私に言いました。
図工にダメとかある?!
正しい作品とかある???
1 + 1 = 2 じゃないとダメとかある?!(あるな)
だから「学校は嫌い」って改めて思いました。
わたしは子育て中に
ずーっと『自由でいいんだよ』と言い続けました。
私の父はそれを不安に思っていたと、この前言われました。
「どんな子に育っちゃうのかな」って思ってたらしい。
でも、普通に素直な良い子に育ちました。
少し天然で変なこと時々言うけど。
それに、『自由でいい』土壌があるので
息子にとって、その図工の時間がトラウマになることはなかったです(多分)
甘やかしたっちゃー甘やかしました。
一人息子だからかわいいしね。
でも窮屈なことや常識的なことは
十分、外の世界で学ぶわけだから
何となく『自由』にやってる親から『自由』を感じて
大きくなったことと思います。
時々「お母さんは自由で良いね」と言われるし
わたしだって息子に向かって
「なんだあの自由さは!」と
少々の苛立ちを覚える時もあるから
それぞれ別の人間ですね。
生まれた時から別の生物だっていう認識はしっかりありました。
先ほどのパラドックスに戻るけど
わたしが『自由』でいたいなぁって思わなくなったら
そこが『自由』のゴールだなって思います。
最近アウトプットする場がないので
週に1回くらい日記更新したいなと思います。
それでは おやすみなさい。